人生ツラめ、アブラ超ひかえめ、痛みマシマシで!

17歳でクローン病を発症。今までの体調や心境の変化や治療について書き残していきます。

クローン病とのあゆみ 大学生時代

前回までは発覚してから人生初の入退院まで

ご紹介させていただきました。

今回は大学生での生活はどうだったのか

振り返りたいと思います。

今までの過去分のリンクを貼っておりますので

もしよろしければ読んでいただけると嬉しいです。

 

 

 

 

大学生活開始!しかし徐々に下降・・・

退院後、娑婆に完全に慣れる時間もなく

高校の卒業式を迎え、無事に卒業しました。

入院中私を診てくれた主治医は

晴れて開業することとなり

退院後はその主治医の開業先で

診てもらうことになりました。

4月からは大学生活をスタートさせ

通学ではなるべく座りたかったので

最短ルートよりも長くなってしまいますが

往復約4時間を通学することなりました。

また年頃なので付き合い方もみんなパワフルで

”大学生の生活”に慣れるまで

しばらくかかりました(汗)

 

この頃の食事は基本的には

1食あたり脂質10gを目安にしていました。

制限を無視して刺激物のものや高脂質のものを

食べることも多々あり

そういう時は決まって腹痛に苦しんでいました。

かと言って10g以内だから何もなかったかというと

そういうわけでもありません。

 

大学1年の前期を終えるころ

入学当初より調子を崩しており

治療について考えておりました。

そんなところ主治医から

新しい治療方法に関する情報をもらい

その治療は通院中の病院では

設備的に難しいということだったので

別の病院に転院することになりました。

その病院が今現在もお世話になっている

T邦大学S倉病院(以後S病院)になります。

 

新天地とレミケード

 S病院は前期終了後の8月から検査と治療の両方で

入院することになりました。

一番最初に入院した時も総合病院だったので

大きいと思っていましたが

大学病院なのでやはり大きいなと思いました。

夏休みに入る8月から入院して検査をし

この後当時の最新治療となる

レミケードを投与することになりました。

8月までの通学で多少なりとも

腸に潰瘍等のダメージがありましたが

レミケード投与後から健常者のように回復しました。

この後、強いアレルギー症状出るまでの?年間は

レミケードのお世話になります。

 

痛くて歩けない

9月中旬から1年生後期が始まりました。

時間割が前期とは変わりましたが

おおむねスタンスは変わりません。

9月の終わりから10月中頃だったと思いますが

太もも(ほぼお尻)に大きな腫物ができ

足を曲げたり伸ばしたりすると激痛が走り

約1週間大学に行けなくなりました。

この腫物(粉瘤)はどうしたかというと

結局S病院の皮膚科に行き

切開の手術を受けることになりました。

手術の際は一応麻酔をするのですが

元々めちゃくちゃ腫れているので

あまり効果をなしません。

切開後も2~3日間

消毒のために毎日通院しました。

 

免疫抑制剤併用で好調に

粉瘤との戦いからしばらく

大きな問題はなく通学しておりましたが、

魔法の薬レミケードの効果が少し薄れてきたので

イムランという免疫抑制剤を服用し始めました。

この薬は服用すると副作用で脱毛することがあると

聞いていたのでびくびくしていましたが

脱毛症状は現れず安心しました。

服用し始めてからしばらく症状は安定しました。

 時間が飛びますが

大学2年生の前期~後期に至っては

途中途中で粉瘤などに苦労することはあったかと思いますが

レミケードとイムランの組み合わせで

調子は絶好調でした。

 

大学2年生の春休みである2~3月には

人生で初めてまともにアルバイトしました。

それまでは体調悪化の原因になる可能性があり

怖かったのでアルバイトの応募は避けてきましたが

この時は後期中調子が良かったので

短期のバイトに挑戦しました。

 

大学生活の中で、大学2年後期~大学3年前期までが

学業・バイトなど最も充実していたように思います。

調子が良かったおかげで

成人式にも無事参加することができました。

非常に運が良かったです。

 

悔いが残る入院そして休学

この書き方でなんとなく察しがつくかと思いますが

だと大学3年後期以降が悪かったことがわかります。

大学3年生の後期は休学します。

しかし私の病歴の中で激悪だったのかというと

それほどではないです。

ただ単にそこそこの悪化で入院して

入院が思ったより長引いてしまい

それが3年後期の始まりと重なってしまいました。

自分の中でこの入院は結構悔いが残っています。

 

長い休学を経て復学したものの・・・

3年の後期を迎えました。

当たり前ですが1つ下の代なので

1つ下の年齢の人と

一緒に授業を受けることなります。

現在社会人となって年齢は関係無いなと

つくづく思いますが当時は頭で理解していても

後輩であることを意識するあまり

常に緊張していました。

そのような緊張感のせいなのか

無関係なのかわかりませんが

安定していた体調は徐々に悪化していきます。

粉瘤が太ももやお尻に定期的にできたり

頻繁に腹痛を感じるようなっていきました。

 

敗血症

3年の後期の12月ごろには

毎日高熱が出て寝たきりになってしまいました。

12月末頃、病院に行き即入院を命じられました。

入院してしばらくして自分が”敗血症”だと判明しました。

health.goo.ne.jp

この時の退院時に医師から

入院し始めに正直私が死ぬかもしれないと

思っていたそうです。

本人からすると寝たきりで

ぐったりしてたぐらいの感覚だったので

そんな危なかったんだと焦りました(^_^;)

まずは個室に隔離され敗血症の治療をし

それが終わるまでに約2週間かかりました。

その治療の後は普通の病室に移されて

クローン病の治療に専念することになります。

 

”穴”が3つになりまして

治療中は当たり前のように食事はありませんでした。

”もうすぐ食べられる”と信じながら

太い針を胸当たりの静脈に入れる痛い点滴のストレスや

頻回の下痢も必死にも耐えていました。

クローン病の治療に専念し始めてしばらくすると

肛門の横あたりにぷくぷくとした違和感を覚え始めました。

最初はぷにぷにしてるなぐらいにしか

思っていませんでしたが

日に日にその中に”何か”が

溜っているような感じがしてきて

排便の度に強い痛みが走り、毎回半ベソ状態でした。

最終的にどうなったというと

穴ができてしましました。

これがいわゆる瘻孔(ろうこう)になります。

できてからもこの穴を便が流れたりするので

激痛で辛かったです。

さらにその後反対側にも瘻孔ができることになります。

瘻孔となるまでの過程を知っているので

正直恐怖でしかありませんでした。

そんなわけで私は当時3つの穴を持っていました(苦笑)

 

選択肢は1つ

3つの穴の所持者になったりと

クローン病は全く良くなる気配を見せません。

長らく口から食事をしておらず

様々な痛みなどから

精神的に限界にきつつありました。

入院中の担当医がいつものように病室にやってきました。

手術の話でした。

しかも結構重めのやつで(^_^;)

人工肛門(ストーマ)を勧める手術でした。

どうやら他の選択肢はないようです。

当時の私は人工肛門にするという事が

理解できていませんでした。

逆に理解していたら手術するなんて

言わなかったと思います(苦笑)

正直、W瘻孔の痛さで疲弊していたので

この状況を脱するためにも

早く手術してくれという感じでした。

この後手術が決定して手術の段取りをして

1月末に人工肛門造設手術を受けました。

 

歩くんですか?

私は手術の全身麻酔から覚めたときにくる

だるさなのか痛みなのかよくわかりませんが

目覚めが最悪だったのを覚えています。

手術後割とすぐに歩くように指令がでます。

すぐに動かないと腸が癒着してしまうそうです。

ベッドから起き上がるだけでも痛いのですが

さらに立ち上がって歩こうとすると

腸に倍の重力がかかっているような感覚を覚えます。

手術から1週間ぐらいは歩くだけでも苦労していました。

 

ストーマって大変じゃん

手術直後は傷の痛みなどにより

意識することができませんでしたが

私は人工肛門(以後ストーマ)になりました。

私の場合大腸を全摘したので

肛門から排便することができなくなりました。

便はどうするのかというと

小腸の端っこをお腹(だいたいおへそ当たり)から

梅干しのように形成して出口をつくり

そこから便を排出することになります。

排便の量やタイミングは

自分で制御できないので

口の周りに排便袋(パウチとも言う)を

貼りつけて受けることなります。

CHECK! ストーマとは?

このパウチの何が大変かというと

やはりずっとつけっぱなしというわけにはいかず

製品や個人によって差はありますが

年中1~5日で交換しなければならなかったり

パウチを皮膚に密着させて貼付けているわけなので

場合によっては皮膚が荒れたりします。

というわけで結構大変です(^_^;)

パウチ交換はストーマ外来の先生に

丁寧に教えていただいたおかげで

無事習得することができました(^^)v

 

長い長い入院を経て

食事も普通に食べられ

パウチ交換もできるようになり

約1か月半におよぶ入院を経て

私は再び娑婆に返り咲くことができました。

2月の中旬でまだ寒かったですが

このキーンと冷えた空気が

何とも新鮮でたまりませんでした、最初は(笑)

 

ところで私の学業の話はどこへ言ったか?

入院してから死にそうになりながらも

レポート書いてメールで提出したり

4年生には研究室に配属されるので

その配属希望を伝えて提出してもらったりと

一応いろいろやっておりました(^_^;)

研究室はどうやら希望が通ったらしく

4月の初めに顔合わせがあることのことでした。

研究室のことを考えたいのも山々でしたが

それまで私は病院慣れしてしまった体を

徐々に順応させるので精一杯で

あっという間に研究室の顔合わせの日となりました。

 

再スタート

研究室生活が始まりました。

全く知らない人もいましたが

ゼミでもお世話になっていた研究室なので

知っているやつもいてそれが救いでした。

顔合わせの日は、自己紹介や研究室内の席を決めたり

環境を整えたりしてその後は飲み会でした。

人とわいわいがやがやするのは

大変久しぶりだったので非常に疲れました。

そのように私の大学生生活最後の年は再スタートしました。

 

今度は肺炎ですと?!

クローン病の治療ですが

敗血症になった一件で

レミケードは中止となっていましたが

イムランなしで再開することになりました。

しかし強いアレルギー反応が出て

すぐに終了となりました。

レミケードがダメになってしまったので

ヒュミラを使用することになりました

レミケードほど強い効果は感じられませんでしたが

打たないよりはマシだったので続けることになりました。

 

4年生の6月ごろ、私は焦っていました。

今更ですが自分の頭の悪さにです(^_^;)

そこまで授業を真面目に受けてこなかったツケが

ここで回ってきたようです。

体調も良かったので

朝から晩まで研究漬けの日々を送りました。

そんな日々を続けていたある日

高熱ひどくなったので近所の病院に行くと

腎盂腎炎と診断されました。

 

4日間点滴治療で通うことになりました。

点滴治療で通った後、

家で様子を見ていましたが

一向に良くならず結局S病院へ行きました。

最初は症状としてなかった咳が出始めており

念のため肺のX線検査をしたところ

なんと”肺炎”とのことでした(゜o゜)

おいおい次は肺かよという感じです(^_^;)

そして即入院です。

入院中に発覚したことですが

肺炎の原因はレミケードによるものらしいです。

入院自体は2週間弱といったところで

退院後はすぐに研究に復帰しました。

 

なんだかんだで卒業した

その後ヒュミラを再開して経過を見ていきましたが

特に問題なく研究室も風邪で休むことはありましたが

通うことができ卒業研究も無事終えることができました。

(研究成果としては・・・)

そして私はそのままその研究室で大学院生として

修士課程に進むことにしました。

理由としては、やはり社会人として働くことは

当時の体調では大変厳しい状況であり

決して優等生ではないのですが

学内推薦という形で院に進める成績だったのらしいので

もう少し学生を続けることにしたわけです。

こんな劣等生なのに親には学費を払ってもらい

大変申し訳ない限りですm(__)m

そして私は大学院院生としての生活が始まりました。